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刻々と変わる

2011年02月17日

刻々と変わる 

国土交通省の案内ガイド「関東の富士見100景---富士山の見えるまちづくり」に出ていた、上野毛~二子玉川東急大井町線の切り通しに架かる「富士見橋」に行ったのですが、その日は霞がかって富士山は見えませんでした。数日後、二子玉川近くの富士が見えるスポットを通ったところ、太陽がまもなく沈もうとしています。そうだ、今行けば、夕日と富士山の写真が撮れるかもと思いつき、直ちに富士見橋を目指しました。あとで分かったのですが、家と逆の地点から歩き出したために90度くらい違う方向に進んでいたのです。このあたりと思うのにちっともそれらしき場所にたどり着きません。空を見上げると日の光はどんどんと薄れ、時間がなくなっています。「富士見橋はどっち?」と聞きながら、焦りに焦り、気分はもう「走れメロス」。やっとたどり着いた時「あらっ」とびっくり、橋の上に思いがけないほど大勢の人がいました。日本人は富士山が好きなのですね。17:12到着、17:17太陽がすっかり隠れるまでに空や雲の色が刻々と変化するのに見とれました。不思議なのは日が落ちた後にかえって空の色が明るくなったことです。

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    Posted by つぼみ at 20:20│Comments(24)砧公園周辺
    この記事へのコメント

    富士山は本当に美しい。。
    私は時々東海道新幹線に乗りますが必ず、例え夜でも富士山側の席にすわります。闇の中に忽然と真っ黒なシルエットが
    Posted by 世田谷fish at 2011年02月17日 21:09

    失礼しました、続きです。
    忽然と現われるシルエットの美しさは逞しく気品に満ちています。
    眠気を忘れる程見入っているうちに街の明かりで、ア〜東京だアと現実に戻ります。
    Posted by 世田谷fish at 2011年02月17日 21:16

    私は記憶にあるかぎり世田谷暮しですが、生れたのは富士吉田つまり富士山の麓と聞かされているので、富士山には思い入れがあります。新幹線でも飛行機でも富士山を見られたときは幸せです。
    Posted by つぼみ at 2011年02月17日 22:07

    走れメロスの成果を十分楽しませていただいています。
    最初に飛び込んできたフォトの雲ってまるでローマ字で書かれた
    メッセージのように見えません?刻々と変化する富士のシルエットって幻想的ですね。自然っていいですね。
    2月の富士は空気が澄んでいてくっきり見える気がしますね。
    Posted by yyg at 2011年02月18日 00:07

    この日は雲がほどよくあって、「雲ひとつない空」より楽しめた気がします。「世田谷の富士見100景」をこれで2つ紹介しましたが、残りのひとつ「成城の富士見橋」は小田急線上に架かっているそうです。いつか行ってみよう。
    Posted by つぼみ at 2011年02月18日 16:09

    刻々と変る空の色合いが素晴らしいです!眼福、々々。有難うございます。雲についてのご感想には同感です。その点でもこの写真は良いですね。富士見橋は成城のそれかと思いましたら、上野毛まで行かれたのですね。脚力も素晴らしいです。私には考え付きません。
    Posted by gwl at 2011年02月18日 23:32

    gwlさん、逆です。うちから成城の富士見橋までは、上野毛の富士見橋までの2.5倍くらいあります。日暮れ近くになって思いついて行けるような距離ではないので、余裕を持って行かなければなりません。
    Posted by つぼみ at 2011年02月19日 14:06

    小田急線に乗っていても、なぜか富士山を探してしまいます。
    富士山には特別な魅力がありますよね。
    Posted by BLANY at 2011年02月21日 15:49

    TVで観たのですが、富士山は中国からの観光客にも人気があるそうですね。あんなに広い国でも、富士山に匹敵する山はなかなか無いのでしょうか。
    Posted by つぼみ at 2011年02月22日 07:16

    「9時にムース!」
    「4時にアザラシ!」
    こんな叫びにみんなが一斉にそちらを向き、「いた!」「いた!」と大喜び。
    これは、アラスカ旅行した時の経験です。
    欧米の方々の方向の示し方って、判り易いですね。
    その言い方でいえば、
    私は、11時半から10時の方向に(線路がカーブしているので)
    夕日に映える富士山を見ながら帰路についています。
    今日もまた、幸せ気分いっぱいで!
    Posted by majikku at 2011年02月22日 20:08

    今日はこれから出かけて、富士山の麓で遊びます。東名を走って
    いくと富士山がだんだん大きく見えてくるのが楽しみです。
    Posted by つぼみ at 2011年02月23日 06:17

    日本人は富士山が好き、とつぼみさんが仰るように今回のコメントも賑やかですね。私も乗り遅れてはならじと参加。昨年の秋、故郷の大磯へ戻ったときにつぼみさんの写真のような富士山に出会って一首、”ふる里の鴫立沢より望む富士 孤影毅然と秋の夕暮れ”。もちろん鴫立沢を詠んだ西行の”心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ”のパクリですが、日本人の富士山好きに助けられて歌会では好評でした。
    Posted by 花オンチ at 2011年02月23日 14:54

    花オンチさん、お久しぶりです。浅学にて「鴫」を「しぎ」と読むことさえ知らなかったので、ひとつ知識が増えました。「孤影毅然と」という言葉、秋の夕暮れの富士山にぴったりですね。
    Posted by つぼみ at 2011年02月24日 07:24

    去年の秋深く、「田子の浦の富士山を見に行こう」という夫に賛同して、東海道線に乗り東田子の浦に昼時に到着。富士山が一番きれいにみえるスポットを探して、とことこ歩きました。

    住宅の間を富士山に向かって歩き、これ以上の場所はないだろうという場所を見つけて、足を止めました。行き交う人も車もなく、安心して休憩、カメラを取り出しました。

    目の前に雄大な富士山が、優美に左の裾野をひき、右の裾野の線は5合目か6合目あたりで、残念ながら近くの民家の屋根に隠れて見えなくなっていたのですが、それがかえって非対称の美しさで、秋晴れの空に映えて、遠路はるばる来た甲斐があったと満足しました。

    山部赤人が歌に詠んだ頃は、周囲に遮るものもなく、富士山だけが目の前に迫ったのでしょうと想像しました。
    Posted by ルイセセニョール at 2011年02月24日 10:22

    富士山を見るためだけに新幹線に乗って行くとはすばらしい! 昨日は「富士山(2・23)の日」で御殿場ではイベントがあったそうですが、白く美しい富士山の姿を堪能しました。
    Posted by つぼみ at 2011年02月24日 18:13

    朝のうちに書き込みをして、仕事に向かう電車の中で、漠然と「・・・ま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」と呟いていて、ふと、疑問が湧いてきました。

    雪の降っている時、富士山に雪が降っている様子が見通せるものかしら?と。雪が降っているときには、視界が閉ざされて数メートル先は見えないのではと。

    今日の今日まで、この歌は青く透明な空に、真っ白に雪を被った富士山が映えている情景を詠んだ歌だと思い込んでいたのですが、雪の降っている時の歌なのでしょうか?理屈っぽくて申し訳ありませんが、どなたか、教えてください。
    Posted by ルイセニョール at 2011年02月24日 21:08

    この疑問には、花オンチさんの出番が待たれます。
    Posted by つぼみ at 2011年02月25日 07:24

    山辺赤人のこの有名な歌は、万葉集の元歌では“田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける”で、ルイセニョールさんが口ずさんだとおりです。その後、藤原定家が新古今集に載せるとき“田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ”に改変し、さらに百人一首にも採用したので、一般にはこちらのほうが有名です。さて、歌の解釈。万葉の元歌は「田子の浦に出てみたら富士山には真っ白に雪が積もっていた」と言い切っているので、ルイセニョールさんの従来の解釈が妥当です。新古今のほうは歌の調べを重視して変えたようですが、まさに「いま雪が降りつつある(どこに?)」ことになり、その雪を通して富士の姿を垣間見るので富士山の輪郭がぼやける、と評判は良くないようです。歌も解釈も元通りのルイセニョールさんでいてください。
    なお、私自身は昔から、船に乗っている作者の周りは晴れていて、見上げる富士山の頂上には今雪が降っている場面を思い描いていました。ところが2年前に見た画家片岡球子さんの展覧会で、富士山シリーズの中の「田子の浦」では、真っ白な富士山を背景に、作者とおぼしき人の乗った小船の周りに雪が降っていてビックリ。これでは富士山が見えないだろうと思い、そのとき一首作りました。“白き富士そびゆる球子の田子の浦小船のうへにぞ雪は降りける”。これは「降りつつ」とすべきなのでしょうね。
    Posted by 花オンチ at 2011年02月25日 14:15

    この歌を詠んだ季節は、冬なのですか?
    私は、冬にしても真冬ではなく初冬、または晩秋かと思っていました。
    高嶺の雪が残雪では驚きがないので、
    冬に向かう頃に、もう富士の高嶺には雪が積もっている、と感激して詠んだ歌、という解釈は・・・可笑しいでしょうか?
    Posted by majikku@伊豆 at 2011年02月25日 19:55

    この歌を詠んだ季節は、冬なのですか?
    私は、冬にしても真冬ではなく初冬、または晩秋かと思っていました。
    高嶺の雪が残雪では驚きがないので、
    冬に向かう頃に、もう富士の高嶺には雪が積もっている、と感激して詠んだ歌、という解釈は・・・可笑しいでしょうか?
    Posted by majikku@伊豆 at 2011年02月25日 19:55

    すみません、伊豆からは届きにくいのか、
    エイヤア、とキーを押したら、2通送信していました。
    お騒がせ、ごめんなさい・・・
    河津桜が、見頃ですよ!!
    Posted by majikku@伊豆 at 2011年02月25日 19:59

    花オンチさん、期待通りに丁寧な投稿ありがとうございました。

    majikkuさん、伊豆は一足先に春なのですね!
    Posted by つぼみ at 2011年02月25日 21:24

    花オンチさん、ご丁寧な解説を有難うございました。万葉集と新古今集両方の歌が頭にあったので、混乱していたのですが、元歌は「降った」で、新古今集は「降っている」と解釈すればいいのですね。

    花オンチさんの解説を読んで、またまた新しい発見ですが、作者は舟に乗っているのですか。私は田子の浦の浜辺に立っているのかと思っていました。ただ、富士山を見るためなら、海にでると遠ざかりますから、作者は舟に乗る必要があって田子の浦を通りかかり、富士山を見たのでしょうか?

    季節は、majikkuさんのおっしゃるように雪の新しい時、晩秋か初冬と思いたいですね。

    届きにくい伊豆からエイヤアとキーを押した気持ち、よ~くわかりますよ(*^^)v
    Posted by ルイセニョール at 2011年02月25日 22:24

    皆さんの旺盛な好奇心、感心しています。
    田子の浦の歌、新古今集では冬歌の巻に収められていますが、それ以上は諸々の解説本でも触れられていないようです。majikkuさんの初冬説に私も同感です。作者の位置は、船を乗り出して行ってとも、眺望のきく所まで海岸を歩いて行ってともとれるということで、一般に「田子の浦を通って視界の開ける所に出てみると」とぼかされているようです。
    Posted by 花オンチ at 2011年02月26日 00:48
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